心の鉦を打ち鳴らし

心の赴くままに過ごす ささやかな悦楽の日々

心の鉦を打ち鳴らし
心の赴くままに過ごす ささやかな悦楽の日々


銀座でデカルトを我思う

 銀座の松屋与勇輝展を観たあと、銀座通りを日本橋まで歩いた。
 銀座通りには何本もの細い脇道が交差しているが、それらの通りのいくつかに桜並木がある。東京の桜は例年にないポカポカ陽気で、数日前にすでに満開になっていた。銀行と思われる石造りのいかめしい建物に、桜は思いのほか映えていた。観光客でも外国人でもなさそうだが、スマホで写真を撮っている人も多く見受けられた。
 ちょうどお昼時で、歩道には大勢のサラリーマンやOLが歩いていた。行き交う彼らに「銀座」を感じるのはそこが銀座だからだ、というのはミもフタもない言い方か。

 しかし、あのやたらと大きなビル群はいったい何なのか。
 会社勤めを辞めてから都心にはさらに出なくなっていた。以前はそれほど驚くこともなかったが、今回久しぶりに銀座から日本橋を歩いてみて、建ち並ぶビルの大きさに目をみはった。
 ビルが建て替えられたりして街並みが少し変わったようにも思われる。
 松坂屋銀座店のあったところには、GINZA SIX という、配送センターのような外観の商業施設ができていた。デパートではないだろう。以前、パルコをデパートと言って笑われたことがある。
 あとで聞いた唯一の口コミ情報は、あんなところでコーヒーなんか飲むものではない、というものだ。カフェもあるようだが、かなりお高いのか。その人はきっと、ショッピングの資金をコーヒー1杯で使い果たしたのだろう。
 ワシントン靴店はユニクロになっていた。うちの近所の庶民的なユニクロと比べると、規模はもちろんだが雰囲気が大分違う。客のほとんどは外国人かもしれない。
 そこのガイジンさん、ソファーを占領して商品を広げてはいけません。
 シャネルやティファニーやブルガリは以前からあっただろうか。あってもなくても行かないけど。
 それらのブランドのビルはどれもかなりデカいが、自社の商品だけであの大きさなのだろうか。なんだか使われていない結婚式場みたいだ。
 コレドがわからず、ビルの間をウロウロする。誰かに聞こうかしら…。
 スマホで調べたら、コレド日本橋コレド室町があることがわかった。それでも場所がわからず、キョロキョロと周囲を見上げながら歩き回った。まるでおのぼりさんだ。

 日本橋高島屋の隣にひときわ高いビルが建設されていた。はるかてっぺんに数基のクレーンが見える。完成したら何になるのだろう。こんな巨大な建造物は絶えて見たことがないような気がする。
 肉眼では見えないが、クレーンにも人が乗っているのだろう。小さな小さな人間が、よくもこんな身の丈に合わないものを作るものだと思う。これは改めて考えてみると驚くべきことだ。それを可能にしているのが技術というものだろう。厳密に言えば技術の蓄積というものだろう。
 テクノロジーは蓄積が可能だ。それに対して人間の精神はどうか。
我思う、ゆえに我あり」のデカルトは、すべてを疑ってみることで、物事を最初から考え直したと言われる。
 だが、人はそうすることでしか成長できないだろう。自分の頭で考えてみなければ、哲学も思想も人生論も、単なる知識にしか過ぎない。そういった先人の智恵を既定事実として、そこからいきなり出発しても、いずれ壁に突き当たるはずだ。
 人は精神面においては、誰もがゼロからスタートするのだ。人の精神があまり進歩しないのはこのためかもしれない。
 すべてを最初から考えてみるというのは、とても骨の折れる作業だ。しかし、時には必要な作業だ。建設中の高層ビルを見上げながらそんなことを考えた。たまに東京見物をするとこんな発見もある。

 お昼はコレド室町にある日本橋だし●●場「はなれ」で、一汁三菜の和食を食べる。だしのにんべんの直営店で、人気店らしく30分ほど待たされた。
 だが、料理はさすがににんべんだ。だしの旨味、というより香味がなんとも言えない。
 あの千疋屋でデザートを食べようかと、店の前のメニューを見たら、お昼の食事より高い! でもせっかくだからと店に入ったら、予約で一杯だったのであっさりあきらめる。
 聞くところによると、千疋屋のバナナは1本数百円もするらしい。バナナは5本98円のしか食べたことがないぞ。
 

与勇輝展にて

 銀座の松屋で開催されている人形作家、与勇輝(あたえ・ゆうき)氏の展覧会に行く。
 と言っても、特に観たかったというわけではない。
 妻が以前、氏の門下生の人形制作教室に通っていた。先日の夕刊に、氏の展覧会の広告が出たのだが、教えてやったところ行くと言い出した。たまたま有休を取っていたらしい。べつに用事もないので一緒について行くことにしたのだ。
 氏の展覧会に(ついて)行くのはこれが2度目で、今回はパリでの個展と傘寿を記念しての展覧会なのだそうだ。

 平日の午前だったが、会場はすでに人で一杯だった。ほとんどが年配の女性で、みな身を乗り出して熱心に見入っている。男は数えるほどしか見当たらず、どことなく手持無沙汰だ。やはりついてきた連れ合いなのだろう。

 氏は古い布の端切はぎれを用いて、着物姿の子供の人形を数多く制作している。童謡や昔話に出てくるような子供だ。モチーフや作風は素朴で、フランス人形のような緻密な造形ではないが、手の指などを見ると細かい手作業で作られていることがわかる。
 妻によると、手は手袋を作るように、小さな指をきちんと5本縫い合わせ、縫い目が出ないように裏表をひっくり返すのだという。

 素材の布の効果もあり、それらの人形は柔らかさやノスタルジーを感じさせる。しかし、女性の多くが感嘆するような感情移入はできなかった。作者の与氏との間にも距離を感じた。作者が女性なら違和感はそれほどでもなかったかもしれないが、このような純朴な創作が可能なのは、氏の内奥に童心があるからだろう。何者からも侵されることのない強固な童心だ。子供のような心がなければ、そして強い意思がなければ、これらの人形は生まれなかったに違いない。

 以前、妻の真似事をして、子供の頭だけを作ってみたことがある。粘土で形を整えて表情を作るのだが、与氏の人形は笑っていない。人形でもいつも笑っていると疲れるでしょう、と教えられたそうなのだが、無表情にするのが意外に難しい。何かしらの表情をつけずにはいられないのだ。それも抑制のきいたほどほどの表情ではなく、誰が見ても明瞭なわかりやすい表情だ。だから口角をぐいと横に引いて笑わせてみた。おでことほっぺたは少し膨らませ、目は切れ長にした。
 さんざんいじくり回してできあがったのは、可愛げのまったくない、見るからに小生意気な小僧だった。宇宙人のようにも見える。

 人形の数々を見て回っていると、控室から与氏本人が現れ、広告にはなかったサイン会が始まった。穏やかで優しそうな風貌だった。妻は図録にサインをもらい、握手をしてもらった。
 

『宇宙に命はあるのか』

『宇宙に命はあるのか』を読む。
 この本は、これまでの宇宙探査の歴史と、地球外生命探査の最前線を綴ったノンフィクションで、一部小説のような体裁をとっている。
 著者はNASAの研究機関で火星探査ロボットの開発に当たっている小野雅裕氏。まだ30代半ばの研究者だ。
 氏によると、太陽系を含む銀河系には数千億の惑星が存在し、さらに宇宙には数千億の銀河が存在するという。だから地球人よりはるかに高度な文明を持つ宇宙人は「いないはずはない」と。
 ではなぜそんな宇宙人は地球を訪れず、何らかのメッセージをも送ってこないのか。
 その理由として、宇宙人は電波以外の方法で交信している、我々が見逃している、宇宙に存在するのは内向きな文明ばかりだから、地球が危険だから、地球が平凡すぎるから、地球文明があまりにも原始的なため保護の対象になっている、などの可能性を挙げたうえで、氏はこう語る。

「だが、ここに宇宙の絶妙な自己調節機能があるのかもしれない。自らを滅ぼしてしまうほど愚かな、あるいは好戦的な文明は、他文明に接触する前に自壊するが故に、宇宙の安定が保たれているのかもしれない。そしてそれが宇宙から地球に侵略者が来ていない理由かもしれないし、また来ることを心配しなくてもいい理由かもしれない。
 そして、宇宙人からのメッセージが届かない理由は、もしかしたらここにあるのかもしれない。夜空に二つの流れ星が同時に流れることが稀なように、文明は生まれてもすぐに自壊してしまうため、銀河に二つの文明が同時に存在することはごく稀なのかもしれない。銀河系は滅びた文明の残骸であふれているのかもしれない」

 映画『スターウォーズ』は、「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」のフレーズで始まる。
 映画には二つの文明どころか、多種多様な文明が登場する。もし映画のような宇宙の文明が実際にあったとすれば、それらの文明の多くは、あるいはすべては、「遠い昔」にすでに滅びてしまったのかもしれない。「残骸」は発見されていないので、跡形もなく消滅してしまったのかもしれない。そしてそれから何万年か何億年かあとに、何もないところに地球が誕生して人類が栄え、現在の文明を作り上げたということか。だが、この文明も人類も地球も、いずれは滅びてなくなるのだろう。
 こう考えてゆくと、人間の存在というものがいかにもはかなくて、人間の営みのすべてが徒労に過ぎないように思えてくる。すべては宇宙の無に帰すという究極の諦観は、仏教の無常観などの、人間が考え出した思想をたやすく超えるように思われる。その宇宙すら永遠に存在するものではなく、いつかは終焉を迎えるという理論もある。
 こんな認識を突きつめると人は生きる力や方向性を失うが、それでもなんとか生きているのは、今この時を生きてゆかなければならないからだ。

 人類の未来について、小野氏はこう語る。
「だが、滅びは人類の定めではない。人類は賢くなれる。人類は未来を変える力を持っている。そう僕は信じている」
 そして人類はいつの日か、銀河に散らばる高度な文明と接触し、ホモ・サピエンスからホモ・アストロルム、宇宙の人へと、「爆発的かつ非連続的な変化」を遂げるという。ずっと先の未来のこととは言え、いたずらに悲観することはないのかもしれない。

 1977年に打ち上げられたNASAの惑星探査機ボイジャー1号は、35年後の2012年8月25日に、人工物として史上初めて太陽系を脱出し、星間空間に入ったという。同時期に打ち上げられた2号も、数年ほどで太陽系の外に出るそうだ。
 1号には「宇宙人への手紙」としてレコードが搭載された。そこには地球上のさまざまな音や55種類の言語による挨拶、写真、イラストなどとともに、古今の音楽27曲が収録されているそうだ。だが、収録されてしかるべきビートルズは、レコード会社の権利問題で承認されなかったという。ホモ・サピエンスにとっては宇宙より著作権が大事ということか。
 日本からは、人間国宝の尺八奏者、山口五郎の『巣鶴鈴慕そうかくれいぼ』という曲が収められているそうだ。

 ボイジャーは今この時も、地球から約210億kmの宇宙空間を、秒速約17kmで飛行している。次に星に近づくのはおよそ4万年後になるという。しかし「近づく」とは言っても、グリーゼ445という星から約1.6光年、つまり約15兆kmの距離を通過するそうだ。まさに天文学的数字だ。想像がつかない。
 ボイジャーからは今何が見えるのだろう。この本のキーワードでもあるイマジネーションが刺激されてやまない。
 

愛する人たちの眼差し

 宇宙物理学者のホーキング博士が亡くなった。
 博士はかつて、「宇宙は、愛する人たちがそこにいなければ大した意味はない」と語ったという。「愛する人たち」を死者とみなせば、霊魂や死後の世界の存在を認めていたとも取れる発言だ。
 
 博士のような考えを持つ者にとって、人間は決して孤独な存在ではない。この世に生きている間も、死して肉体が滅んだあとも、人間は常に「愛する人たち」に見守られ、あるいはともにある。そういう認識は慰藉に違いない。死の恐怖もいくらかは減ずることができるだろう。

 しかし、霊魂や死後の世界の存在を確かめることはできない。むしろそれらは宗教が作り出したものではないだろうか。つまり人間が作りあげた幻影だ。ホーキング博士も、最初に引用した言葉とは裏腹に、死後の世界の存在には否定的な見方をしている。
 それでも、そんな目に見えないものを完全に否定できないのは、人間が弱い存在だからだろう。

 博士の「愛する人たち」は西欧的な言い回しだ。これを日本の仏教的な表現に置き換えると「ご先祖様」となるだろう。
「ご先祖様」はどんな人間をも温かく見守り、迎えてくれるだろうか。
 今日は春分の日、春の彼岸だ。
 

性格は変えられるか

 話し方教室を受講していた人の共通の目的は、当然のことだがうまく話せるようになりたいということだ。
 だが、話し方だけでなく、性格を変えたいという人も少なからずいたようだ。
 引っ込み思案を社交的に、内向的を外向的に、消極的を積極的にというように、話し方の改善を通してみずからを変えたいという人たちだ。そして講義の中でも、性格は変えられるという話が出たことがある。

 講師は50代くらいの男性で、やはりその話し方教室で学んだらしい。本人の話では,、以前はものすごい口下手だったそうだが、そんなことをまったく感じさせないくらい、講義での話し方は明快で力強いものだった。教え方も身振り手振りを交えて情熱的だった。

 ある時、その講師が触れたのが、人の性格は変えられるということだった。講義の中にそういう項目があったのではないと思う。おそらく自身の来し方を語る中で、性格が変わったことを打ち明けたのだ。
 話し方教室の仕事に就く以前は、講師は都内のある区役所に勤めていたという。その頃は人前で話すことがまったくできず、それを直すために話し方教室に飛び込んだらしい。
 講師の回想からは、人とコミュニケーションをとること自体が難しかったことも窺われた。しかし、自信に満ちたその話しぶりからは、過去のそんな鬱屈した姿を思い浮かべることはできなかった。
 おそらくこういう道のりがあったのだろう。
 話し方教室に入ってしばらくはずいぶん苦労したに違いない。重症だったように思われる。練習というより矯正といった方がよいかもしれない。しかしあきらめることなく練習を重ねるうちに、口下手だった一公務員の悩みは解消された。いつしか話すのが楽しくて仕方がないと思うようになる。ついにはみずからが話し方で人を導く立場になり、そういう仕事にも就いた。そして話し方のみならず、性格も変わったと断言したのだ。
 
 まもなく講座が修了するという頃に、講師と受講生らが集まって飲み会を開いた。その席で講師と話をすることができた。
 講師が以前勤めていたという区役所で、学生時代にアルバイトをしていたことがあった。そのことを講師に話した時のことだ。
 講師の表情に動揺が現れ、顔が突然崩れたのだ。それは表情が変わるという程度のものではない。顔面に亀裂が走り、そこから内部が覗くような、激しい動揺だった。見てはならないものを見てしまったようで、思わず顔をそむけた。
 同じ場所で働いていたとはいえ、時期や部署が同じだったわけではないだろう。当時の講師を見知っているとは限らないのだ。それでも講師には、人に見られたくない過去を見られていたと思えたのだろう。

 あの時、講師の顔の亀裂から覗いたものは、かつての講師の性格だろう。それは口下手で人とうまく話せない、講師その人の生来の性格に違いない。精進を重ねてそんな性格は消え失せたと思っていたのかもしれないが、実はそうではなかったのだ。

 性格は変えられると言われる。
 しかし、生まれながらの性格を変えることはできない。
 そんなことはない、自分の性格は変わったし、だから変えることもできるのだ、と断言する人は確かにいる。
 だがそれは性格が変わったのではない。生まれつきの性格に、努力や修練や克己によって、あるいは環境の変化によって、新たな気質が加わったのだ。

 若い頃はすべてにおいて内向きだった。
 たとえば、人と話すことが好きではなかった。人と向き合うことの緊張感からして御免だったし、こちらの内面にも立ち入ってほしくなかった。だから人と話していて心から楽しいと思うこともなかった。それよりも本を読んだり、街をさまよい歩いたり、物思いに耽っている方がよっぽどよかった。一人でいる時間に比べれば、人との会話などは時間の浪費にしか思えなかった。
 しかし、周囲に背を向けて生きることには後ろめたさを感じていた。そして心のどこかで、そんな自分の性格を恥じていた。

 そんな内向きの性格に新たな一面が加わったのは、会社が倒産し、失職してからだ。つまりここ1年ほどのことだ。
 利害に基づく人間関係から解放され、また、年齢的にも生き急ぐ必要がなくなったので、心を開いてゆっくり生きてみようと考えた。すると、人と話してみようかという興味も湧いたのだ。義務からではない。
 進んで話してみると思いのほか内心の抵抗もなく、心おきなく会話に浸ることができた。特に努力したわけではない。今はことさら身構えることなく、誰とでも打ち解けて会話を楽しむことができる。

 しかしそれは、性格が変わってそうなったのではない。かつての内向きの性格がなくなったわけではないのだ。それは折に触れ、胸の奥底から浮かび上がってくる。そしてみずからの存在を主張するように、暗い淵へといざなうのだ。
 だが、それを押さえ込もうとも思わなければ、その自分本来の性格を恥じる気持ちもない。今は懐かしさのような思いを込めてそれを眺め、愛おしむことができる。

 性格を変えたい人は、先に挙げたような、引っ込み思案を社交的に、内向的を外向的に、消極的を積極的に、という目標を掲げている。それぞれの前者がいわば悪で、後者がいわば善となっているが、初めからそんな構図にとらわれるのではなく、自分にふさわしいあり方を重視すべきではないだろうか。
 社交的を引っ込み思案に、外向的を内向的に、積極的を消極的に、変えようという人がいてもよいはずだ。
 

「あがる」ということ 5/5

 実際のスピーチの場面を想定した練習もした。
 カーテンを閉め切った自分の部屋の隅に立ち、気をつけの姿勢をとって、無人の空間に向かって「おはようございます」と一礼する。そして両手を前で組み、そこにいない社員を見渡すように、胸を張ってひとくさり弁ずる。終わると再び気をつけをして「以上です」と一礼する。これを何度も繰り返した。家族に知れるのは恥ずかしかったので大きな声は出さない。
 今思い返すと滑稽でもあり不気味でもあるが、会社の先輩にも同じことをやっている人がいたらしい。その人は極真空手の有段者なのだが、奥さんを前に座らせて練習したそうだ。

 だが、どんなに練習しても、これでもう安心ということはなかった。
 当日の朝になっても、あるいは電車の吊革につかまって、あるいは道を歩きながら、ブツブツと呟いて練習したが不安は消えなかった。
 電車のシートで眠りこける人や、道を行き交う人の群れに目をやると、誰もがそんな不安とは無縁に、楽に生きているように思われた。

 当日朝の練習で重要だったのが発声練習だ。
 週末をだらだらと過ごすと月曜は体が重かった。独身の頃は週末に言葉を発しないことが少なくなかったが、そんな時の週明けの午前中は声が死んでいて、思うように話すのに骨が折れた。おのずと人と口をきかなくなり、意思の疎通にも支障が出ることがあった。
 高校の時、演劇部で発声練習をやっているのを見て覚えていた。それを真似てやってみた。「あ・え・い・う・え・お・あ・お」と1字ずつ区切って明瞭に発声するのだ。か行以下と濁音・半濁音も同様に発声する。そしてどこかで読んだかした「れろれろれろ…」という舌の運動もやった。
 だがこれは電車の中ではできない。駅を降りて会社まで歩く間の10分足らずが勝負だった。

 住宅街を抜けると会社のビルが現れる。その社屋の前の道路を渡る時になっても覚悟が決まらなかった。地震でも起きて電車が止まり、社員の出社が遅れて朝礼が中止にならないかと思ったりした。車に接触して少しくらいなら怪我をしてもいいかなとさえ思った。

 自分の席に座って待つ間も落ち着かなかった。
 そして朝礼が始まり、いよいよその時が近づくと、心臓が自分の意思とは無関係に強い鼓動を打ち始め、息をするのが苦しくなった。これ以上こんな状態が続くと体がもたないように思われた。

 だがいざ話し始めてみると、そういう緊張状態は消えていた。
 実際には消えていなかったのかもしれないが、話すことに集中していたからか、あがっているのを意識することはなかった。声もよく出ていて、ほぼ思い通りに話すことができた。時にはむしろ快感さえ覚えていた。大学時代のあの発表の時のような状況に陥ることはなかった。

 漢検の試験であがった時、いずれ緊張は収まるという冷静な考え方ができたのは、スピーチでのこういった体験を覚えていたからだ。
 試験自体も、全120問中間違ったのは3問だけで無事合格した。出来過ぎの感があるが、試験後に自分なりの答合せをして、合格ラインを確実に突破していることがわかっていたにもかかわらず、合格通知が届くまでは不安だった。答の書き方が間違っていなかっただろうかと思っていたからだ。
 丸暗記への執着にしてもそうだが、これは完璧主義などというものではなく、不安神経症と言った方が当たっているような気がする。スピーチの前に体調を崩した社員と変わらない。

 先の読売新聞は、あがらないための心構えや方法として以下を挙げている。
腹式呼吸を意識し、姿勢にも気をつける。胸を張って背筋を伸ばすと、より深く呼吸できる」
「人から見られることを意識せず、むしろ、自分が見る側だと考えれば、あまり緊張しなくなる」
「大切なのは自信を持つこと。何度も反復練習をすることが重要だ。(中略)地味で時間のかかる作業の積み重ねが、自信と安心感を与えてくれる」
 さらにひとつだけ付け加えると、他人は自分が思うほど自分のことを見ていないものだ。
 大学での発表の時も、あがってうまく話せなかったことを級友に白状したら、彼の感想は、こんなに落ち着き払った奴は見たことがないというものだった。緊張のために声のトーンが落ちていたからそう感じたのだろうが、気がつかないなら黙っていればよかった。
 

「あがる」ということ 4/5 

 話し方やスピーチに関する書物はたくさん出ていたが、実地訓練が必要だと思ったので本だけに頼るのはやめ、スピーチを体験できる講座や教室を探した。
 そういった講座や教室もたくさんあったが、歴史が古く受講料も比較的安い、よく知られたある話し方教室を受講することにした。

 20名ほどのクラスだったか、毎週1回講習があり、講師による講義と受講生のスピーチの実習とで構成されていた。
 受講生は個人で参加する者が多かったが、企業の研修でグループ参加する者らもいた。熱心な個人参加者に比べ、企業の研修の参加者がそれほどでもなかったのは当然だろう。

 講師は情熱的な人だったが、講義の内容に特に目新しいものはなかった。教えられたことのほとんどすべてが、話し方やスピーチを説く本の内容と変わらなかったと言ってよい。まあ講座に求めていたのは実際にスピーチをやってみる場だったので、講義の内容にはあまり期待していなかった。ありきたりの内容でも失望したり幻滅したりすることはなかった。

 あがらないでスピーチをするための心構えやノウハウは確かにあり、そういうことをまったく知らない者には講義はとても有効だろう。
 だが、講師がいみじくも漏らしたように、つまるところは慣れなのだ。場数を踏むこと、これに尽きるように思われる。多くの話し方やスピーチの指南本も、いろいろなコツやテクニックを縷々並べながら、最後には極まり悪そうに、場数を踏むことが大切とありふれた結論づけで終わっている。

 とエラそうなことを言うが、こういうことがわかるようになったのは講座を修了し、会社でのスピーチを何度か経験してからだ。講座を受講していた短い間はほとんど上達しなかったと思う。
 だが、話し方教室での経験は間違いなく生きた。自信と余裕を持つにはほど遠かったが、そこでの実習体験は確かに有意義なものだった。

 会社でのスピーチの日程が決まると、いくつかのテーマの中から1つに絞り、原稿を書いて何度も練習した。
 事前の準備の仕方は人によって異なる。テーマのほかに、大まかな筋書きや流れだけを決めておき、言葉や表現などのこまかい点は本番での成り行きに任せる方法と、筋書きや流れはもちろん、言葉や表現などの細部もすべてきちっと決めておく方法だ。
 前者では不安だったので後者の方法をとったが、この丸暗記のやり方が危険なのは、ひとつでも言葉なり表現なりを忘れてつまずくと、そこで流れが止まってしまい、お手上げの状態に陥ることがあるからだ。実際にそうなったことが一度だけあり、飛ばして話し続けたが、話の展開も飛躍したものになったかもしれない。

 そういう失敗の経験があるだけに、暗記は徹底的にやろうと努めた。原稿は毎回何十回と読んだだろうか。接続詞や助詞に至るまで事細かに覚えようとしたが、必ずどこかで原稿との相違が生じた。それはどれも取るに足らないことなのだが、些細な食い違いが致命的なミスにつながりそうで、そんな不安を払拭するためにもこのやり方に固執した。