心の鉦を打ち鳴らし

心の赴くままに過ごす ささやかな悦楽の日々

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死ぬかと思った北穂~奥穂 2/2

 北穂から穂高岳山荘へのルートは、岩と恐怖の記憶しかない。眺めを楽しむ余裕は皆無だった。目の前にも、指先にも、足元にも、あるのは岩だけだった。高所恐怖症なので下は見ないようにしたが、一度勇を鼓して視線をめぐらせると、足元の岩場から下がなく、谷底に向かって突兀とした岩の群れが続いていた。

 岩にへばりつくようにして、手がかりや足がかりを探しながら、少しずつ体を移動させた。ルートを示す矢印やマルが岩にしるされていたが、こんなところをどうやって登るのだと、何度絶望したことだろう。

 岩の面が手前に覆いかぶさるように張り出している、いわゆるオーバーハングが多いことは知っていたが、そのオーバーハングの一つで岩を掴み損ねた。上体がふわりと浮き、そのまま谷側に傾きかけた。宙を泳いだ指先が偶然にも岩の角に引っかかった。それがなかったら転落していただろう。

 岩場の陰に思いがけず数輪の花を見つけた。しかしそれは恐怖を癒す自生する花ではなく、死者に手向けられた供養の花だった。そこから転落するか滑落するかして命を落とした友人の霊を慰めるために、登山仲間が登ってきて供えた花なのだろう。痛ましさは感じたものの、岩にへばりついたままで冥福を祈る余裕はなかった。恐怖はむしろ募った。

 天候は晴れだったが、伝う岩場は日向になったり日陰になったりした。日陰に入ると恐怖が増し、日向に出るとそれがかなり和らいだ。恐怖がまったく消えることはなかったが、太陽の光を浴びるとほっとした。

 ほかの登山者とすれ違ったり、追い越し追い越されることもなかった。岩場は延々と続いた。いつになったら終わるのかと何度も思った。

 もうたくさんだと、怨嗟の思いで天を仰ぐように見上げると、岩の上にヘルメットをかぶった男の顔が見えた。遠くを眺めて笑みを浮かべている。ヘルメットが必要なルートだったのかと無知を嘆く一方で、笑うことができるところなのだとも思うことができた。
 男の姿と笑みに救われたような気がしたが、それで恐怖が薄らぐことはなかった。その証拠に、すがるような思いで男に声をかけようとした。助けを求めたかったのではないが、岩場に慣れた人の声を聞いて恐怖から少しでも逃れたかったのだ。しかし男の姿はもうそこになかった。

 死ぬかと思った…。
 それが穂高岳山荘に無事たどり着いた時の感想だった。これは同じルートを歩いたほかの登山者の思いでもあったようだ。大の大人が駄々をこねるように、山荘の畳の上で体をゴロゴロさせながら、「あ~、死ぬかと思った~」と人目もかまわず泣き言を言うのを見た。
 改めて地図を広げてみると、「危険」の意味が初めてわかったような気がした。体力だけではどうにもならないルートや山があることを思い知らされた。そして、最初はほとんど無視していた涸沢岳が、このルートの難関の象徴であることも知った。
 その日は穂高岳山荘に泊り、翌日は奥穂から前穂を経て一気に上高地まで下った。距離は長かったが、前日のルートのような危険箇所もなく、展望を楽しみながら歩くことができた。

山と渓谷』の特集によると、一般登山ルートでは日本最難関と言われた「槍ヶ岳北穂高岳」間の大キレットは、近年ルートの整備が進んで以前ほど危険ではなくなったという。それと比較して、現在では「北穂高岳奥穂高岳」の方がむしろ危険で難しいそうだ。ネットでもこちらの方が怖かったという声が多かった。
 大キレットは多くの登山者が越えてみたいと思う目標だろう。確かにいつかは挑戦してみたいと思っていた。それに今は「北穂~奥穂」よりやさしいという。
 しかしそれでも、死ぬような思いをする岩だらけの山にはもう登りたくないというのが本音だ。

 初めて北アルプスに登ったこの年の夏、山と渓谷社がちょうど涸沢に取材に来ていた。
 イベントがあり、大学生によるアルプホルンの野外コンサートなどが開かれた。涸沢ヒュッテの前で大勢の登山者とともにカメラに収まった。
 翌年の『夏山JOY』の特集見開きページに、1枚の集合写真が大きく掲載された。眩しい笑顔ばかりが並ぶその中に、1人のニヤけた男の顔があった。